対人恐怖の治し方(簡単に)
対人恐怖は人との関わりを増やせば治ります。
人と関わる機会を避ければ長引きます。
人と関わるのが怖いから誘いを断る
あっちの道を歩けばあの人とすれ違う可能性があるからこの道にしておく
人前で恥をかくのが怖いから学校を辞める
自分の醜い本性を知られるのが怖いから会社を辞める
以前の私の例ですが、このような回避を続ければ続けるほど、慢性化し、自分を否定する気持ちも強化されます。
対人恐怖症の人間が人と関わるのは恐怖です。
底無しの沼にに足を突っ込む、暗闇の中を手探りで歩くような感覚です。
度合いによりますが、対人恐怖を抱えている人間にとってはさぞかし怖くて堪らない事でしょう。私も吐き気がしました。逃げ出したい気持ちでした。
逃げた先には、対人恐怖を抱えて生きること、やりたい事もできない、言いたい事も言えない、我慢の日々
あえて逃げない方を選んでみる事も大切です。
ただ無理をしてはいけないです。
自分のペースでできる所からやっていく事が重要です。(本当に)
そうやってできる事を増やしていくうちに、あるとき、急に改善します。
右肩上がりのグラフが急上昇するような感じ。
6年前にカウンセラーに言われた通りになりました。
克服に6年!?と思うかも知れませんが、私にとっては人生で最も意味のある6年です。
私は6年かかったというだけの事なので、その辺についてはまた追記します。
克服しました (80%ぐらい)
対人恐怖症は無くしていくものでなく、消えていくもの。
でも人間関係はそこまで変わっていない。
友達が増えたとかは今のところない。
ただ恐怖の度合いが薄れていく感じ。
感じる恐怖の度合いが小さくなるから、話しやすくなる、行動しやすくなる。
症状に対する執着の度合いも小さくなるから、後悔しにくくなる。(さっきはあの人と上手く話せなかったから変に思われたに違いない)など
まだ少し腰が引けてる所があるから克服度は80%にした。
これから自分はもっと良くなるだろう。
未来は明るいと思える。
病気と症状を一緒にしない
YouTubeで医療ジャーナリストの船瀬俊介さんの動画を見ていたとき、面白い話を聞いた。
何らかの病気になり、熱を出す、咳が出る、下痢をする。
これらの症状は全て治癒反応であると。
熱を出して体温を上げる事で免疫力をあげ、咳を出すことで菌を外に排出し、下痢をする事で大腸菌を排出する。
解熱剤、咳止め薬、下痢止め薬、これらの薬がその自然治癒反応を止める事により、その病気は慢性化していくらしい。
西洋医学は原因に対処せず、症状に対処する。
神経症でも同じことが言えると思った。
声が震える、赤面する、目を合わせられない。
これらの症状(自然な反応)を抑えようとするとむしろ強化される。
出てくる反応に抵抗せずに身を任せると自然と消えていく。
オーガニックバカ
抑圧された怒り、不満が別の形になって投影されるというのは心理学の知識として知っている。
でも自分がその渦中にいる事は本当に気づきにくい。そして逃れにくい。
森田正馬さんの本を読み、自分が投影的な事をしている可能性を考える。
自分は陰謀論、利権、健康被害のような社会の裏側みたいなやつを好んで見ている。
実際癌になれば抗がん剤は使わずに断食と温泉で治そうと思ってるぐらい。
先週の話。
母親がサーモンが原材料のドッグフードを買ってきたとき、激怒した。
サーモンには、というか大きい魚には水銀とプラスチックが蓄積されているから魚を与えてはいけない、みたいな動画を観た影響だ。
常人なら文句を言うぐらいのことはあっても激怒まではしないだろう。
母親ぶつけた怒りは、本当は昔の抑圧された経験に対してのものかもしれない。
もしくは、自分はこんな陰謀論を知っているんだ!わかって欲しいんだ!という欲求とも言える。
そんな事を考えてると、自分の社会の裏側を知りたい、闇を知りたいという欲求もどこから湧いているんだろう。
反社会的な態度か。(あくまで現時点での憶測)
その態度は、社会にうまく適合できないという怒りが生み出すものなのか。
だとしたら自分は間違っている。
自分を大きく見せたい
森田療法についての本を読んでいるとき、ふと高校時代のことを思い出した。
当時は自意識過剰、神経質、人見知り、赤面恐怖などが酷かった。
クラスメイトから酷いいじり方をされたりした。
それを女子に見られるのを極度に恐れた。
ひたすら我慢し、必死に何もないように振る舞おうとした。
そんな姿が気持ち悪く映ったんだろう、陰口を叩かれた。
基本毎日が地獄のような日々だった。
高校時代を一言で表すなら、"抑圧"である。
僕は自分を大きく見せたかった。何かで認めてもらいたかった。
だから努力した。本当に色々やった。
今ふと思い出したのは、黒板に大きな文字を書くことである。
?と思うかもしれないが、僕にとっては重要だった。
先生に指名され前の黒板に立って答えを書きにいくとき、胸が高鳴った。
皆に自分をアピールできると思った。
解答の正誤はもはや重要ではなかった。
いかに大きな文字を書けるかだった。
自分はいつもナヨナヨしてるけど、こんな大きな文字が書けるんだぞと。
席に戻り、自分の書いた黒板の文字をうっとり眺めていた。
当時のあれは神経症的症状だったなぁ。
カウンセリングのフィードバック
今は二週間に一回のペースで心理カウンセリングを受けている。
対人恐怖症専門のカウンセラーのところ。信頼できるカウンセラーと思っている。
昨日の日曜日にカウンセリングを受けてきた。
前回のカウンセリングから生活習慣の改善にに取り組んでいて、それが今日まで継続している事などを話した。
カウンセラーの方から、ドアから入ってきた時の雰囲気、声、態度が前回と違い、地に足がついてるような印象を受けたと最後に言って頂いた。
嬉しかった。
その他には、最近怒りの感情を感じやすくなってきた事、テレビに出てる同世代の人たちを見て劣等感を感じる事なども話した。
前回から変わらず、職場での休憩時間などに、あまり人と話せていなくて辛く、苦しい現状も話した。
自分が本当に会話したいのか、
それとも本当は会話したくないのか、
カウンセラーからのこの問いには悩んだ。
わからなかった。
人とは会話した方がいい、仲良くするべきだという世間体がある。
でも、少ししか話さない人、全く話さない人、笑顔を見せない人だっている。
職場で全く話さなくても、家に帰って家族と話す、親友と話す、彼女と話す、ペットと触れ合う、それで満足している人だって当たり前のようにいるとカウンセラーは言う。
多種多様の性格の人がいて世界は成り立っている。
自分は職場で話したいのか、話したくないのか。
結論、そんな話したくない。
そしてそれは何も悪い事じゃない。
今日はその心構えで仕事にいくと楽だった。
心から自然な会話ができた。