対人恐怖症克服への記録

対人恐怖症を克服するまでの日々の記録を綴ります。

真面目さ

今日、仕事中のエレベーター内でのこと。

 

ビルの屋上で工事をしているので、休憩のときは全員エレベーターで戻る。昼ごはんの時間になったので、全員エレベーターに入った。

 

このエレベーターは緊張する。密室で人が多い空間にいると不安を感じ、首が固くなる。早くこの密室から抜け出したいといつも思っている。

 

エレベーターの10数秒の間にゴツい職人に話しかけられた。〇〇君顔真っ暗やん!wと言われた。自分たちの会社は撤去作業メインにやっているので、粉塵が顔まわりに飛んで、黒くなる。その事をいじられた。老けてるみたいやなぁ!wと言われた。

 

顔が赤くなった。何て返したらいいんだろう!!みんなが自分の一言に注目しているように感じた。

 

いやぁ、そんな事ないと思いますけど。w

と返した。

 

1秒の沈黙後密室で笑い声が起きた。〇〇君怒ってるやんー!wみたいな感じでいじられた。今度は汗が噴き出てきた。

 

笑顔をつくり、いや、怒ってはないですよ。w

と返した。ハハハーwとなった。

 

直後に静寂が起きた。エレベーターのワイヤーロープの音だけが聞こえる。この瞬間、消えてしまいたかった。

 

恥ずかしい。恥をかいた。うまく返せなかった。面白い事を言えなかった。だから空気を悪くした。

 

自分を責めた。

 

この人にこう思われたんじゃないか。この人にも気持ち悪く思われたと思う。あの人には軽蔑されたと思う。エレベーターで斜めにいた人は気不味そうな顔をしていた。。

 

2時間ぐらいそんな事をいっぱい考えていた。人とすれ違うのも怖かった。  神経質め。

 

冗談が苦手。人からどう思われるかに意識が向きすぎて、目立たないように、間違えないように、正しい事を言うように。。こんな心境では心地よい対人関係を築くのは難しいだろう。

 

対人関係は変化していく。時間、状況、場の雰囲気。気を張れば張るほど、消耗して疲れるだけ。

 

でもこれを書いてる今は顔が赤くなった自分を責める気持ちはない。

 

これが今の自分が立っている位置なんだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

エレベーターのくだり、文で見返したけどそんなに変な返しか?w

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

声を出す

出勤だったが、少し寝坊した。

 

まず夜あまり眠れなかった。行く前にいつも被ってるニット帽を忘れたり、無意識にいつもと違う道を通ってしまったりした。緊張していた。

 

朝礼時の前に同じ会社の3人で雑談した。昨日どうやった?と話しかけてくれた。朝礼が始まったのですぐ終わったけど楽しかった。そのおかげで緊張が和らぎ、いつもよりリラックス状態で朝礼(監督が話すのを立って聞いてるだけ)に臨めた。

 

人と話すとこんなに緊張感が和らぐんだなと思った。

 

午前、材料を運ぶ作業をしてるとき、いつも自分話しかけてこないような人に話しかけられた。昨日面接してもらったとき聞いた話だが、その人は元×××らしい。確かに個性の強い感じはあった。

 

現場ノリの絡みだった。周りに人がいて恥ずかしかったけど、ウェーイと返した。いいねぇ!!と言ってもらった。少し楽しい気持ちになれた。結構そのノリが続いてしんどかったけど、勇気を出してウェーイと小さい声ながら返し続けた。こういう状況でのノリの良さというか、身につけたいなと思う。

 

昨日面接した会社の職人に話しかけられた。いつウチくるん?と聞かれた。予想外だった。

 

自分で勝手に嫌われてると思い込んでたので、歓迎されないだろう、来てほしくないやろうみたいに捉えていた。今日の朝からの緊張の原因はこれだった。

 

保留にしてもらってます。と答えると、そうか!みんな待ってるでー!と言ってくれた。胸に嬉しい気持ちが込み上げて、咄嗟に、ありがとうございます。という言葉が出てきた。

 

今日はいつもより声を出していたと思う。声を出して人と関わると、なんかこうイキイキする。

 

声を出すのは怖い。でも出そう。自分に必要だから。自分が望んでいることだから。

 

 

 

岐路に立つ

今日は休みをとっていた。

 

今日は面接をしてきた。

 

以前から今行ってる現場の協力会社の職長からスカウトを受けていた。最初誘われたときは冗談だと思っていたけど、何回も誘ってくるので本当なんだと思った。もうすぐ株式公開する様で人員を増やす狙いらしい。社長の押しが強く、それに折れる形で今週の月曜に面接の約束をしていた。でも何で俺なんか誘うんやろとも思っていた。

 

14時から始まった。その人はなんというか、コミュ力も凄いし、考え方とか手腕というか、若いのに凄いなと思った。会社の壮大なこれからの展望なども聞いて面白いなと思った。

 

凄く話しやすい雰囲気だったので、夢を聞かれた時に、心理カウンセラーになりたい旨を話し、これまでの経緯も伝えた。その人は、面白いなー!と言い、うちの社員として働いて、本気でそれに取り組むなら会社のお金使って新規事業としてやろうと言った。JUMPの主人公的な人だと感じた。

 

だだ自分には正社員としてやっていく自信がないし、対人の不安もあるし、現場の雰囲気も慣れないし苦手。週6出勤やし。仕事覚えるのも遅いし。

 

でも楽しそう、面白そうみたいなワクワクもある。でも不安。事務所にレインボーのスピーカーみたいなやつもあったし。多分夜な夜な酒盛りでもしてるんだろう。知らんけど。

 

取り敢えず、保留にしといた。

 

逃げていいんだろうか。いつも辛い事から逃げてきた。だから5年以上もカウンセラーのお世話になっている。もちろん良くなった所もあるけど。まだ対人恐怖症の真っ只中にいる。

 

直す特効薬は精神薬じゃないことも知ってる。

 

このタイミングでデカイ選択が降りかかってきた。

 

さぁ、しんどくて辛い方を選ぼうか。それとも。

 

 

 

 

ひとりで帰るのはやめよう

いつもビルを出るまでの道は3人で帰るけど、ビルを出てから駅まではひとりでソソクサと歩く。挨拶もせずに。ひとりで先々歩いて後ろの2人から違和感の眼差しで見られているのはわかる。でも3人で帰ることのしんどさよりはマシだと感じてたから仕方なかった。

 

 

今日もビルを出て足のスピードをあげようとしたとき、ある1人のおじさんが、いつも歩くの早いよーとか言い出した。それに返答する形で一緒に歩く事になった。逃げ出したい気持ちだったけど、会話をした。それなりに楽しかった。ありがとうという気持ちと申し訳ない気持ちが両立した。

 

 

その人は線が違うので、駅に着いたら別方向へ帰っていった。線が一緒のもう1人のおじさんと話した。自分から話しかけた。前職はなにやってたんですか?と聞いた。そこからその人の前職の話を聞いたりした。それ以降は会話が弾まなかった。喉が苦しくなり、声も出にくくなってよく聞き返された。地下鉄なので電車の音もうるさいので余計に。

 

 

5分ぐらいの沈黙の後、苦しい状態のまま、結婚してるんですか?と聞いた。してないと言われた。あ、そうなんですねー。そこから別れるまで無言状態が続いてしんどかった。胸と喉が詰まった感じだ。この状態になるのが嫌で人とは一緒に帰りたくない。

 

 

でも繰り返し行動する事が大事だとは知っている。

 

 

昨日の年下ふたりにも話しかける事ができた。

 

 

大好きなマクドを食べてストレス解消しよう。(悪)

 

 

 

休憩の時間がしんどい

某ビルの屋上防水工事の現場

 

相変わらず休憩時間が苦手だ。

 

本当は宙を見つめていたいが、顔をあげる勇気がない。

 

いや、本当は人と話したい。

 

スマホで見たくもないニュースアプリを見る。

 

奥に座ってるゴツい職人がTIKTOKみてる、音ガンガンに出して。

 

ニュースサイトのまとめサイトを見たいが、2chなどみてると、暗い奴と思われるので、釣りのページを見てる。

 

今の時期はヒラメが美味しい。1年前の今頃は茨城の危険な堤防でヒラメに挑んでいた。仕事の帰りが遅くても無理をして堤防に向かった。あの瞬間は嫌な事全部忘れられて、没頭していた。

 

休憩が苦痛とは変な話だなあと思う。

 

突然目の前に座った自分と同い年の超有名巨大建設会社の現場監督が取引先やら会社の人なのか、いい声で電話しまくっている。客観的にみても24歳の風格ではない。でも肌は綺麗なのでやっぱり同い年だなと思う。咳払いも大きくて怖い。

 

私なら重要な電話が掛かってきても出ない。

 

仕事中に年下の職人2人にウェーイと絡まれた。いわゆるしょーもない話をしてきた。(ベルトがどうのこうの)その子たちに初めてそういう絡み方をされたので、パニックになるのを我慢し、笑顔を作った。当然そんな事に意識が向くのでまともに話せない。楽しいはずの冗談も言えない。不自然な笑顔で質問にだけ答える形で気まずい雰囲気になった。もう1人の職人が私に絡んだ職人に拍手をし出した。日頃から何にも喋らん奴によく絡んであげたねーの拍手だ思う。

 

そこから1時間ぐらい、胸が痛かった。

 

でも関わってくれて嬉しいと思った。

 

その人たちとは1ヶ月ぐらい同じ現場だけど、明るくて面白い人たちだなーと思う。

 

これが陰湿で嫌味な奴ならまた話は変わってくるけど。

 

明日、話しかけてみようかな。

 

 

 

 

 

 

 

 

神経質な歴史 その1

1996年大阪市内で生まれる

 

 

赤ちゃんの頃は喜怒哀楽が激しかったそうです。最初に覚えた言葉は「でんき」だそうです。^^

 

 

物心がついた頃には母が私の二の腕をつねり(二の腕のタプタプした感触が気持ちよかったのか)、痛かったのを覚えています。

 

 

毎回つねられるのが嫌で抵抗していましたが、それが母親には伝わらず、結局小学校に入る頃ぐらいまでつねられていました。

 

 

姉がいましたが、母は末っ子で男の子という事もあったのか、私への干渉が強く、身の回りの事なども全てやるような人で、またコミュニケーションに関しても殆どが母親の一方通行なものでした。そんな中で母親との共依存の関係は強まっていきました。私自身、マザコンで母親が大好きでした。特に母親の耳を触るのが好きで、ほんとによく触っていました。

 

 

意外にも幼少期の私は人見知りせず、愛嬌があったのか、周りの大人からはよく可愛がられていました。そんなおごりから、欲しいおもちゃを買ってくれないと地面に寝っ転がって泣き喚くなどして、よく困らせていた事なども覚えています。

 

 

幼稚園

 

 

母親への依存は強かったと思いますが、幼稚園に行く時などは特に泣いたりすることもなく通っていました。遊ぶ友達もおり、楽しく通っていました。

 

 

曖昧ですが印象に残っている出来事は、年長組と年少組の交流会でのです。普段は関わりのない年長組と年少組が一緒に遊んだりご飯を食べるというもので、年長だった私はペアになった年少の子に「優しくしたろか?」という意味不明な台詞を、事あるごとに言っていたことを覚えています。

 

 

小学校 (低学年)

 

小学校に入学した頃に、近所の書道教室に通わされました。私が左利きだったのでそれを右で書くように矯正するためでした。同時期にお箸も右に変えるように躾けられました。今では書くのと食べるのは完全に右ですが、その時は凄くストレスを感じました。書道教室には3年通いましたが、左が右に変わっただけで字は全く綺麗になりませんでした。今でも字が汚いのがコンプレックスです。

 

 

小学1年生の頃に習い事でサッカーを始めました。小学校に友達はいましたが、始めた習い事では知ってる顔が全くおらず、自分から話しかけて友達を作るという事が出来なかったです。いつも黙っていたように思います。ある一人の子がウォーミングアップ前に僕のボールを奪い遠くに蹴っ飛ばして面白がっていたのを覚えています。僕は何も言わずに遠くに飛んでいったボールを走って取りにいきました。戻ってきたらまた奪われて飛ばされるという繰り返しもありました。サッカーは4年生まで続けましたが、レギュラーにもなれず、楽しくもなく、辞めたいとずっと思っていました。親と一緒に監督に辞める事を告げにいった時、監督に、「自分からいけよ」と最後に言われた事を覚えています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

自己紹介

対人恐怖症で悩む方と繋がりたいと思いました。

 

ここでは日常で感じた事などを出来るだ素直に書きたいと思っています。

 

たまに過去の出来事なども書くと思います。

 

文章は下手かも知れませんがよろしくお願いします。

 

19歳頃からカウンセリングルームに5年ほど通っています。

 

対人恐怖症を克服すればカウンセラーになりたいと思います。

 

現在の職業:

土木建築系のアルバイト

 

学歴:

大学中退

 

職歴:

ラーメン屋  アルバイト-1年

コンビニ   アルバイト-1年

ホテル清掃  アルバイト-2ヶ月

定食屋    アルバイト-3ヶ月

ラーメン屋  アルバイト-2日

カレー屋   アルバイト-1年半

不動産営業  正社員-4日

電力会社   派遣社員-7ヶ月

運送業    派遣社員-6ヶ月

現場監督   正社員-10ヶ月

ニート       -2ヶ月

土木建築   アルバイト←現在

 

 

Twitterもやってます

https://mobile.twitter.com/melsenri